"超サイヤ人ゴッドとは 考察 其の2"

〜其の2〜

超サイヤ人ゴッドとは 考察 其の1の続き。。だよ!!

  • "神"の域に達するのに強さは不要!?

  • とりあえず、"神"という存在は、強さの"次元"がちがうらしい。で、破壊神ビルスがいうには戦闘力が表面化している時点で駄目("神"の域に到達してない)らしい。戦闘力が表面化しないので、もちろん"神"というのは気が感じ取れない。
    と、言うことであるが、この強さの"次元"というのがどうにも今までのいわゆる"戦闘力"とは違うベクトルの話なのではないかというのが、この節の主題である。つまり、戦闘力がある値以上になれば"神"の域に入るというのではなく、それとは全く違う、例えば"精神的境地"みたいなものなのではないかということである。
    なぜそういった考えにいたったかという理由を以下にあげる。

    1. 界王神様が創造の神として破壊神ビルスと対等の存在とされている。つまり、当然界王神様も"神"の域に属しているはずだが、その力は悟空やベジータなどいわゆる"戦闘力が表面化"している次元の戦士よりも劣っている。原作でもピッコロが界王神様のことを「さっぱりわからない・・・なにものなのか」とか「次元が違いすぎる」とか発言しているのでやっぱり界王神様も"次元"の違う存在なのでしょう。

    2. かつての超サイヤ人ゴッドは"神"の域に達していたにもかかわらず、(もちろん時間切れのせいもあるが)悪のサイヤ人達に敗北している。純粋に戦闘力を極めた先に"神の域"があるというのなら、かつての超サイヤ人ゴッドも少なくとも超サイヤ人3の悟空よりもはるかに強いはずであり、超サイヤ人ゴッドの状態を保てた時間が如何に短かったとしても戦闘力数万(大猿化したとしても数十万)程度でしかも少数民族のサイヤ人たちに負けるはずはない(もちろん数秒とかなら話は別だが・・・)。

    3. 超サイヤ人ゴッド化がとけた悟空に対して、ビルスが「神の域を経験したために、その世界を吸収し、ゴッド化がとけても戦闘力があまり低下することにはならなかった」という主旨のことを喋っている。このとき悟空は普通に超サイヤ人になっていたから、戦闘力が表面化していたと思われる。つまり、戦闘力としては極めて超サイヤ人ゴッド状態に近いにもかかわらず、"神"の次元にはいないといえるのだ。もちろん、ここでは戦闘力の描写がないから超サイヤ人状態でも悟空の気は感じられない、つまり戦闘力が表面化していないのかもしれないが・・・。ただ、ビルスや、超サイヤ人ゴッドの雰囲気をみたところ、戦闘力が表面化しない=穏やかな精神状態を保つみたいな印象を受けたので、悟りの境地みたいな感じで。だから、感情むき出しの超サイヤ人(だって怒りがきっかけでしょ)はやっぱり"神"の域ではないような。

    というわけで、普通の人間(?)と"神"の境界とは、超サイヤ人とちがって戦闘力に関係しているわけではなさそうで、いってしまえば存在そのものとして完全に別の次元にいきているといえるのではないか。

  • 超サイヤ人ゴッドの強さについて

  • この点についてはページの都合上、超サイヤ人ゴッドとは考察其の3にて

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